青梅の地元人達がこよなく愛するカフェ「IL tempo Vola(イル・テンポ・ボーラ)」(光陰矢の如しの意)は、お寺の境内の一区画にひっそりと佇んでいる。目印は椅子に配置された白いウェルカムボードと、ビール瓶に活けられた一輪の花。
まるで友人の家に遊びに来たかのように、玄関で靴を脱いで中に入る。最初、目に飛び込んでくるのは、居間の中央に配置された火鉢。しかも陶器ではなく、切り株をくりぬいてしつらえたもの。なんでも、青梅の神社にある大きなケヤキを切ったときに頂いたもの。威風堂々たるケヤキの重厚感に見とれていると、香ばしいコーヒーの香りとともに、食欲をそそるピザの香りが鼻元へふわふわと運ばれてくる。
キッチンでは、店主の山口さんが明るい声でお客さんの声にこたえながら、せっせっと注文に応じている。
山口さんが丹精込めて作るピザを彩るのは、青梅近辺で収穫された有機野菜。口のなかでシャキシャキと活きの良さを主張する野菜と、チーズのとろけたまろやかさが絶妙のバランス。
店内にあるパプアニューギニアの伝統衣装をまとったダンサーの写真が一際目を引く。お店のお客でありながら、山口さんいわく「頼りになる何でも屋さん」が当地で撮影したもの。ピザを楽しみながら会話を楽しむ人。漫画を読む人。それぞれの人がそれぞれの時間を気ままに過ごしている。
カフェの裏手にある白いバン型の軽自動車は、以前山口さんが出張ピザ屋を営んでいた頃に活躍した特製車。なんと石焼釜を積んでいる。そして、石焼釜を高温に維持しパリッとしたピザを生み出す熱源は、知人のつてで青梅近辺から調達した木材。
「特に意識して、有機野菜や燃料に木を使っているわけではないのよ。ただ身の周りにあるものを使っているだけ。私は美味しいピザを作りたいし、実際、その方が美味しいから。最近は環境のことがよく話題になるけど、あまり気にしてない。普通に良いものを選択しているだけなのよ。」
肩の力がすっと抜けていく。美味しいから、身の周りにあるものを選択する。窓からそよ風が入ってきた。
cafe Il tempo vola
東京都青梅市
トンネルを抜け木漏れ日の中を進むと、右側に見える小さな看板。「オシドリ良品店」の目印だ。森と小川に囲まれた小さな日用品店は、20代の若い夫婦が営んでいる。どこか懐かしく、それでいて新しさを持つ商品・作品から、日々の生活の中で使う道具への「愛着」や「気持ち」を大切にする店主の気持ちが伝わってくる。
成木周辺には、陶芸家や指物作家などアーティストが多く住む。昨年成木で開店した「オシドリ良品店」にはアーティスト達が多く訪れ、人と人、モノとモノを結ぶ、貴重なサロン的空間が次第に育まれてきた。
倉庫を改造して作られたショップスペースに入ると、入口横に設置されたオシドリをモチーフにした扉のある薪ストーブが、静かに客人のお出迎え。このストーブは青梅・梅郷に住む作家の作品。また、扉の柄も家具作家によるもの。設置は知人の業者さん。地域の繋がりがストーブになると、こんな形になるのだろう。
店主の大矢さんに早速質問。
1.薪ストーブを使う理由は何ですか?
「じんわりと室内を暖かくし、快適な室内環境にしてくれることです。熱効率が良い上に、何よりも自然の原料だから。」
2.薪をどこから調達していますか?
「親戚からもらっています。薪ストーブを使用している知人からもらったり、薪の知識を教えてもらったりとみんなで協力しています。」
3.薪ストーブを使い始めてから、変わったこと、気付いたことはありますか?
薪ストーブを使いたいと思っている人や興味津々な人が多いことに気づきました。自然の火で暖めるので、肌に優しい温もりを感じて、気持ちも安らぎます。それから、火の暖かさ、強さ、怖さを実体験できて、子供にも勉強になりますし、ストーブの周りに自然と人が集まるから、つい話に花が咲きますよ。」
夜な夜な地元青梅近郊に住むアーティスト達が集う、青梅街道沿いにある一軒屋のカフェ。そんなフランスのサロン的なカフェ、「ねじまき雲」の店主は、お客さまに親しみをこめて「ネジくん」と呼ばれている長沼慎吾さん。彼の感覚によって集められた古道具たちと、常連客(通称ネジマキスト)のアーティストが自然と持ち込んだ作品たちが特有の空間を作り出し、中でもヴィンテージのペレットストーブがしぶい存在感を放ちます。
話を聞くと、どうやらこのペレットストーブが「ねじまき雲」に辿り着いたのも偶然を超えた必然かもしれません。
1.どういった経緯でペレットストーブを使い始めたのですか?
「ペレットの存在は、前々から知っていました。実際にペレット製造をしてらっしゃる方や、森関係の仕事をしているお客様がいますから。
コーヒー屋として、フェアトレードの豆を使用するなど、自分にできる環境貢献はしていましたが、ペレットストーブはそう簡単には手が出ませんでした。高価な物ですしね(笑)。そう思っている矢先、ペレット製造をしているお客様から、ウチの店に似合うペレットストーブがあるんだけど使わない?話とあり、一目惚れして設置にいたりました。第一次ペレットブーム時製造のものですから、かなりの代物だと聞いています。」
北海道から取寄せた煙突はあえて表面に出したり、蓋を持ち上げる道具は知合いの作家さんが作った物だったり、完全にねじまき仕様になっている。
2.ペレットをどこから調達していますか?
「ペレットストーブを譲ってくださった東京ペレットさんから調達しています。」
3.ペレットストーブを使い始めてから、変わったこと、気付いたことはありますか?
「今までアラジンストーブを使っていたのですが、温かさが違いますね。空間全体が温かくなり、どの席にお客様が座っても大丈夫になりました。」
ギャラリーとしての顔も持つ「ねじまき雲」。環境と調和した空間もデザインしていきます。
初めてその人のことを知ったのは、朝日新聞の多摩欄に掲載された記事だった。神奈川県藤沢出身。脱サラ後、青梅市梅郷で家具工房を構えた。青梅は学生時代からカヌーの練習に通った馴染みの場所。今はNPOが週末に主催するカヌー教室で講師として参加している。5年計画で青梅へ移住。30代前半で家具職人に転身した羽尾さんを訪問した。
梅園の向こうに見える杉林の手前に、木造の工房がある。以前、養蚕が行われていた小屋を改築したもので、入口にあるのれんが清々しい。
工房に入ると応節兼事務スペース。部屋の中心に薪ストーブがある。隣が作業場だ。室内にある家具はもちろん自作のもの。凛とした佇まいと、木の優しさが同居している。机の上にあるPCからピアノの曲が流れ始めた。コーヒーを飲みながら、薪ストーブを眺めつつ、話が弾む。
1.薪ストーブを使う理由は何ですか?
「何よりも経済的だから。工房で薪はふんだんに出るし、家具の材料を全て使い尽くすので、捨てる必要がなく助かります。基本的に薪を買うことはありません。
また、煮炊きが出来るのもいい。湿度も与えてくれる。温風ではないから埃が舞わなくていい。濡れてるものがすぐ乾くし。」
2.薪をどこから調達していますか?
「主に自分の工房から。大きなものは材木屋さんから調達してます。樹の種類は、家具の材料になるサクラ、ケヤキ、カシが多い。製造時に出るかんなくずは炊きつけに最高です。冬が終わると翌年に向けて貯めておきます。」
3.薪ストーブを使い始めてから、変わったこと、気付いたことはありますか?
「火を見ると落ち着きますよね。昔から焚き火が大好きで。自然に人が集まるから、コミュニケーションも取りやすい。おせんぺいもパリパリ、さつまいもも上に乗せれば、やきいもになります。(笑)面倒なこともあるけど、それ以上にメリットが多いですよ。」
東京都檜原村の西、数馬に薪の生産を行っている方がいることを知り、早速話を聞きに坂本さんの仕事場を訪問した。
ここ檜原村は明治期初頭、西多摩の炭生産量の約3割を担う東京における炭の供給拠点だった。車窓から山肌を見上げると、急な斜面にスギ、ヒノキの濃い緑がどこまでも続く。戦前は炭の原料となる広葉樹がほとんどだったと言うから、その頃、檜原村の山はどんな景観だったのか思いを馳せる。
坂本さんの自宅へ着くと、すぐに仕事場まで案内してくれた。山腹へ向かう小道を脇に入ると、薪を積み上げた仕事場が現れる。中心に薪割機が置いてある。坂本さんはスロットルを引きエンジンをかけ、手近な木を取ってミシミシと裁断してみせる。
「こうやってひとつひとつ割るから、結構手間がかかるんだ。夏場の暇な時期に木を切り出し、ここへ置いて乾燥させる。年末が一番忙しい。正月あたりが一番売れるけど、今年はよく出るから足りるかどうかヒヤヒヤしている。」とにこやかに話す。
薪販売はひいお祖父さんの代から行ってきた。坂本さんは薪製造の他、所有している森林に入り山仕事もこなす。時々、街にある木の剪定を請け負ったりもする。
「昔は頼まれて都内のあちこちに行った。御茶ノ水にあるニコライ堂の大きな木を切りにも行ったよ。」
市街地にある木の伐採や剪定は、周囲に障害物が多く、高所での作業になるため、熟練した技術が必要だ。西多摩では「ソラ師」と呼ばれる職人だが、昨今は少なくなったと聞く。坂本さんはその「ソラ師」であった。
「月に3t車5台分(3t車1台≒約500束)の薪を作り、自分で使う分を除けば3台分くらいを売っているかな。卸売価格で350円くらい。販売先はいろいろ。薪ストーブ用に個人宅へも行くし、薪窯ピザ屋へも行く。埼玉の鋳物工場では、燃料ではなく鉄を混ぜるために使う木材を運んだりもする。今は材が手に入りにくいし、売れる量が増えているから作る量が間に合わないな。薪に加工するのは大変な労力がいるから・・・。」年齢は70歳前半。立ち振る舞いは高齢と思えない。それは闊達な職人の姿だった。
薪生産者
住所:檜原村数馬