2003年8月
大文字の送り火で使われる薪の原料であるアカマツは、全て大文字山に生育しているものを利用していた。昔はアカマツが豊富に生育していたので困らなかったであろうが、近年は松枯れなどの影響でアカマツが減少しているため、アカマツの苗木の植栽・保育を行なっているそうだ。写真はアカマツの植林地。
伐採されたアカマツは、幹も枝も松葉も全て利用されていた。幹や枝は割り木として、松葉は割り木の間に挟み着火剤として。無駄がない!毎年25本程度を伐採し、約500束の薪を用意するそうだ。写真は薪が保管されている倉庫。
「大」の字が灯される山腹は、山麓の住民の共有林である。 400年以上の歴史があるとされる大文字の送り火は、この共有林の所有者である47家を中心とする山麓の住民(現在はNPO法人大文字保存会として組織化されている)によって長い間継承されてきた。半年前の2月から始まる伐採、薪割り、草刈、登山道の整備等の作業もすべて住民総出で行なわれてきた。しかし、近年は多くの若いボランティアが作業を手伝いにくるようになった。送り火に先駆けて8月10日に行なわれた火床周辺の草刈でも3,40人のボランティアが汗を流していた。
送り火当日、薪が積み上げられていく。薪の積み方、松葉の差し込み方には様々な知恵が見られた。京都の夏の風物詩になった送り火には何十万という目が注がれるので、失敗は許されない。
火床の完成図。合計75ヶ所の火床にはそれぞれこのように薪が組まれる。大の字の中心だけはこの4倍くらいの大きさの火床が組まれる。あとは午後8時の点火を待つのみ。
午後8時。京都の街を見下ろすと店舗や民家の灯りが消され、いつもの半分くらいまでライトダウンされていた。そして、大の字の中心付近のお堂からお経が聞こえ始め、掛け声とともに一斉に火が灯された。
火の大きさは想像以上で、見物客もその熱さに後ろに下がらざるを得ない。山全体に上昇気流が起きているようでもあった。20分ほど経つと、火も落ち着いてきて、ようやくゆっくりと観賞できるようになった。目を周りの山々に向けるとゆっくりと「妙法」や「鳥居型」や「舟形」やもう一つの「大」の字が浮かんできた。午後9時前に、火はゆっくりと消えていき、見物客が燃え残った炭を持ち帰る光景が見られた。送り火無事終了。我々も大文字山を後にした。
(島田俊平・文責)