2003年8月23日、バイオマス祭り調査のオプション(?)として、京都市左京区久多宮の町で行われる松上げを見物した。その内容を簡単に報告する。
当日、松上げが行われる場所もわからなかったので、少し早めに現地を目指して車を走られていたら、久多宮の町地区に入ったところで車を停められ、10分ほど待って欲しいと言われた。ちょうど松上げの燈篭木(とろき)の設置中であった。
久多宮の町は谷に沿って水田が細長く広がり、茅葺き民家などが20戸ほど点在する山間の小さな町で、松上げはその中央に近い、道路脇で行われた(写真1)。道路といっても乗用車が離合困難な細い道である。
時刻は午後の4時過ぎ、地区の人と思われる10名程の人が道路脇の燈篭木場に燈篭木を立てる最中であった。約10mの燈篭木(ヒノキ?の支柱)の頂きには「笠」といわれる円錐形をした竹を骨格にした籠状のものがフジ蔓で取り付けられ、その中に枯れたスギの枝葉がぎっしりと詰まっている(写真2)。笠は直径約1.5m高さ約1.8mの円錐形と大きなものではあったが、残念ながら燃やすものはスギの枝葉で、薪の調査としては、この行事は対象外となることが判明した。
燈篭木は相当な重量になるようで、ユンボで吊り上げていた(写真3)。作業が一段落したところで車の通行が可能になったので、駐車スペースを探し、車を停めて、燈篭木場へ戻ったところ既に燈篭木は立てられ、作業が完了していた(写真4)。作業をされていた人達は立ち去り、松上げの開始が午後8時であることを尋ねることしかできなかった。
久多の少し蒸し暑いがのどかな夕暮れを味わった後、燈篭木場へ戻る。まだ、開始までには30分近くあったが、人は見物客と思われる二人組とカメラマンが一人しかいなかった。しばらくしてビデオカメラを持った取材チーム3名と家族連れ一組が加わった。この取材チームがこの後、折角の「炎」を台無しにしてしまうとは思いもよらなかった。
15分ほど前になってようやく地区の方らしき老人がやって来て、道脇に2mくらいの細い竹を突き刺し始めた。この竹は後に献灯用のものとわかった。ほんとうに午後8時から始まるのだろうか、と思っていたら10分ほど前になり、警察官と消防関係者が到着し、近所の見物客がぞろぞろ繰り出してきた。それでも行事の主催者約10名と見物客などを合わせて5、60名ほどであろうか。
8時になると道脇に積まれていたスギの枯れた枝葉に火が灯され(写真5)、行事は突然開始された。鐘と太鼓の単調な囃子が始まり(写真6)、割木または割竹を束ねたものに火が灯され、道路脇に立てられた竹に供えられていく(写真7)。行事を司っている人達の衣装が格好良い。作業着に長靴、腰にはナタ、山人の姿である(写真8)。
暗闇に灯された炎によってその情景が映し出される。火の祭りや行事の魅力のひとつはこうした炎の灯りなのだろうと思って、次の展開が楽しみになってきたところ、取材チームのハロゲンライトが炎の灯りを掻き消してしまった。ハロゲンライトはこの後も邪魔をし続けた。
道路脇の献灯(写真9)が供え終わったら、次は割木を束ねたたいまつに縄を結びつけた「上げ松」(写真10)に火を灯し、縄で振り回して反動をつけて燈篭木の先の笠に向かって放り投げる(写真11〜13)。なかなか笠には投げ入れることができない。時々観客の方へ飛んでくる。何度となく上げ松が放り投げられ、ようやく笠に投げ入れられた。火が移った笠は次第に炎を増し、巨大なたいまつとなって周囲を照らした(写真14〜15)。
笠が燃え尽きかけた(写真16)ところでクライマックスを迎えた。燈篭木が倒され、炎の塊が地面に叩きつけられて飛び散った(写真17)。飛び散った炎の残り火が集められると、見物客は去りはじめ、道路の通行止めが解除され、見物はここまでのようであった。開始から約30分であった。
本報告の行事の用具などの名称は、「京の北山ものがたり 京都文庫2」(斉藤清明 1992)を参考にした。
(堀本尚宏)