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雲ヶ畑松上げ調査

2003年8月24日

 雲ヶ畑は、京都市内を南北に流れる鴨川(上流に行くにつれ加茂川、雲ヶ畑川と名前が変わる)を溯った源流域に位置する静かな山村だ。面積2000ha 弱、約80 戸、250 人余りが住んでいる。古くは天皇家の御猟場であり、また、京都市街への薪炭の供給地であった。戦後に大規模な杉・檜の植林がなされ、林業で栄えた時期もあったが、近年は林業だけで食べて行くのは苦しい状況と聞いている。また、薪く炭くKYOTOや関連団体の山仕事サークル杉良太郎が活動しているフィールドでもある。

 勢力争いに敗れ雲ヶ畑に隠居していた惟喬親王を慰める為に村人が行った火の行事がその起源ということであるが、明治時代復活後は他地方の松上げと同じく火除けと五穀豊穣を祈願する愛宕信仰の献火行事として行われているということだ。山上に木で文字型の櫓(やぐら)を組み、松明(たいまつ)をつけるそうだが、なんでも、そのやぐらの文字が毎年異なり、その文字は点火までは秘密にされているというのがなんともミステリアスで、興味をそそられる。聞いた話では、アポロが月面着陸した年は、「月」の文字が灯されたとか。さてさて、今年はどんな字が灯されるのだろう。

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8月24日午後7時過ぎ、松上げが灯される山の川向いの高台にある高雲寺にやってきた。お寺の境内には人がちらほら居るくらいで、拍子抜けするほど静か。対岸の山も真っ暗。まあ、のんびりしようということで夕涼みを楽しんでいると、7時45分位になるとようやく見物客も集まりだした。サンダルを引っかけた短パンのおっちゃんや、寝間着姿の男の子、涼しげな浴衣を着た女の子など、何とも肩の力が抜けたいい感じ。8時点火と聞いていたのだが、火は見えない。そんなこんなでじらさらていると、おもむろに、松明を持った人が現れた。そのひとが、山に向かって火を振りながら「おーい、おーい」と叫んだ。まわりの見物客もそれにあわせて「おーい、おーい」と叫ぶ。すると、山彦よろしく、山からも「おーい、おーい」との声が聞こえてきた。火が一斉にともり始めた。といっても、字が点火されるのではなく、10から20くらいの松明の明かりが、狐の嫁入りの様に、くっついたり離れたり、並んだり散ったりというようにゆらゆらとうごめいている。それが延々と続く。なんとも幻想的であった。地元の人の話では、3m四方程の櫓を組み、100束余りの松割木の松明を結びつけて点火するということなので、現場では村の若衆が熱くて重い松明をもって汗をたらしながら頑張っているのだろう。 『雲ヶ畑の松上げ』は地元の若衆が中心となって、準備から当日の進行までを担っているそうである。雲ヶ畑でも過疎化、特に若い人が集落から出ていくことが、問題になっているが、この夜はそんなことを思い出しながら、対岸の山中で頑張っている若衆にエールを送った。

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 20分くらいであろうか、「狐の嫁入り」が延々とつづく。いつまで続くんだろうと少々退屈気味になっていたところ。いきなりバンッと字が闇夜に浮かび上がった。歓声がわき起こった。私も、おーー!と思わず声を挙げた。拍手も起こった。感動。今年、灯された字は「中」であった。どういう意味なんだろう。良くも悪くもなく中くらいってことか、中国のことかなどと、あちこちで議論に華が咲く。

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やがて、松上げをあげていた若衆が境内に走って戻ってきた。晴れ晴れとした表情が印象的であった。皆、拍手で出迎えた。ようやった。頑張った。若衆のリーダーが「今年も無事良い火が上がって、皆お疲れ様でした」と挨拶をした。皆また拍手。そうだよな、確かに「良い火」だった。これまで何十年、何百年と、実りの多き年も少ない年も、厄の多き年も少ない年も、人々は変わらず、この日に「良い火」を上げることに心を注いできたんだなあ。一人でうなずいてしまった。これからも、毎年八月に雲ヶ畑で「良い火」が上がり続けることを祈らずにはいられない。

(島田俊平)